私の道草
20代、30代は仕事を持って自立し、結婚しても子どもが産まれてもそれを続けるということがなぜかとても大事でした 。それが、転職し、仕事の方向性が見えてきてフリーランスになり、仕事も子育てもある程度落ち着いて、家もできて、というあるときのこと。洗濯物を干そうと階段を上がって踊り場にたった時、あれ?それでこれからどうする?という感覚がふっとやってきたのです。その時の感覚をよく覚えています。
それからしばらくしていろんなことが起こり始め、からだや心のことを学んでいく流れがやってきました。野口整体、アドラー心理学、OSHO瞑想、心で触れるボディワーク。
2002年頃のことでした。触れること、感じることが始まっていきました。

心で触れるボディワークとの出会い
初めて学んだボディワークは実は「サイキックマッサージ」と呼ばれるものでした。エネルギーリーディングを含む手法で、それは自分を理解していく上でとても興味深かったのですが、ひととおり学び終わったところで浮かんできたのは「もっと普通のマッサージがしたい」という気持ちでした。エネルギーを読むということよりも、からだに触れることがなによりも喜びだと感じたのです。
サイキックマッサージの創始者サガプリヤはもともとエサレン研究所の講師で、手技のベースはエサレンボディワークということを知り、ならばそれを学びたいと探して辿り着いたのが鎌田麻莉氏が岩手花巻で教えておられた「心で触れるボディワーク本格コース」でした。
鎌田麻莉氏のセッションを受けて感銘を受け、10日間の合宿コースに飛び込み、コースを修了、30ケースの練習セッションを終えたところですぐにスタッフとなり、温泉サロンに勤務しつつ、幾度となくコースのアシスタントとして関わってきました。

ゆったり整体との出会い
2012年春、岩手・花巻に移住して、鎌田麻莉氏のオフィスのスタッフとして働きはじめました。そのとき、ちょうど「ゆったり整体」の第一回目の講座がはじまったところだったのです。アシスタントとして講座に同席しつつ一緒に学ぶことが始まりました。
麻莉さんも、伝える手技や身体の使い方を試行錯誤されていた時期。私はというと、温泉サロンで「心で触れるボディワーク」の施術を担当しつつ、技術を磨こうと必死でした。麻莉さんの動きを観察しては、ひょっとしてこうやっていますか?この時、脚はどっちに重心がかかっていますか?など質問する。そこからまた麻莉さんの言葉が引き出される。麻莉さんにとってはごく自然に、当たり前に起こっていることを共有してもらうために言語化していくことが自然と起こっていました。
それは「ゆったり整体」の原型である「心で触れるボディワーク(オイルトリートメント)」をより深く理解する上でとてもありがたい体験でした。
花巻での暮らしを終える頃、ゆったりセラピー協会設立の動きが起こります。東京に戻ってまもなく「ゆったりセラピー基礎講座」がスタート。協会理事である坂田佳子さんが講師となり開催された第一回のコースにアシスタントとして参加します。「ゆったり整体」を伝えるという現場に入ってみると、花巻時代、麻莉さんから受け取ったさまざまなことが波のように押し寄せ、蘇ってくるのを感じ、驚きました。それを分かち合いたい気持ちでテキスト作りを協会に提案。現在も使われているインストラクターコースのテキストの原型となっています。
その後、少し紆余曲折はありましたが第一号のインストラクターとなり、「ゆったりセラピー基礎講座」を教えつつ、施術をすることを続けています。

アルーンコンシャスタッチとの出会い
オイルトリートメントの施術者として数年働いた頃、友人のすすめでたまたま出会ったのが「アルーンコンシャスタッチ」でした。
その頃、自分のタッチがどこかに行ってしまったような感覚のなかにいたような覚えがあります。触れることが嬉しくて仕方ない時期から、ある程度の技術が身につき、でも何かが足りない、どこに向かっていいのか。
アルーンの体験はそこに新たな視点を届けてくれました。より自由なひろがり。恋に落ちたように夢中になり、開催される国内の全てのグループに参加し、出会った翌年には創始者Anubuddha、Anashaによるスペインでのコースに参加。初めての海外でのグループでした。
その後、前任者の退任で日本国内のグループをオーガナイズする役割を引き受けることになり、お世話役を続けて13年が過ぎたところです。

現代レイキとの出会い
岩手・花巻にて鎌田麻莉氏の元で働いている時期に現代霊気法レベル1からレベル4までを修了し、レイキマスターとなりました。その後、現代霊気法創始者である土井裕先生からも直接指導、伝授を受けることができたのは幸運でした。現在、ゆったりセラピー協会の認定レイキマスターとして、協会員向けのレイキセミナーを担当しています。

OSHO瞑想との出会い
初めてOSHOアクティヴ瞑想を終えたとき、その場で、わけもなくハラハラと涙が流れるまま動くことができず、座り続けていました。その横で、だれかが黙って静かに一緒に座ってくれていたことを思い出します。
何が起こっているのかよく分からないまま、惹かれるままに瞑想を続け、Adipriyaという名前を使うようになり ました。私にとってOSHO瞑想がとても大切で、続けていこうという決意のようなものです。
そのうち、瞑想のなかで、信頼、愛としか言いようのないものに出会うようになります。いろんな気づきがやってきます。それが面白くて、大切で、OSHO瞑想や、OSHOメディテイティヴセラピーを続けています。


やっていることをスピリチュアルと評されることがあるけど、スピリチュアル、という言い方が苦手というか好きじゃないところがあります。
なにが苦手なのかうまく言えないけど、
もっと普通がいい。
白いご飯みたいな。
